1964年
「国民教育運動特別分科会報告書」つづき3
三、 国民教育再編成の本質と国民教育運動の課題
(1) 国民教育再編成の意図と本質
第一章でみてきたように、分科会では和歌山県の教育界に加えられている、権力側の組織的、思想的攻撃のいくつかの典型的な事例が出され、討議が深められた。そのなかで、これらの攻撃は、個々バラバラのもなのではなく、共通の根をもつものであり、したがって、個々バラバラに対応するのでなく、その全般的特徴をつかみ、攻撃の本質を明らかにすることが、決定的に重要であるとの指摘 がなされた。そして、討議の過程でも、一応の中間的総括が試みられたが、いまそれをふまえ、さらに報告書作成委員会のなかで討議した内容も加えてまとめてみよう。
今日、和歌山県の教育界にあらわれている諸現象を検討して、第一にわれわれが気づくことは、それら山の現象が、きわめて大きな規模の教育改革の流れの一環だということである。小中の義務敦育段階だけでなく、後期中等教育、高等教育、就学前教育、さらには、学校教育以後の社会教育分野にわたって、教育のあらゆる分野におよぶ、いわば、国民教育再編成が、いますゝめられているということである。この国民教育再編成は、権力側にとっては、六〇年以降の新安保体制にふさわしい、教育体制の樹立の方向をめざすものであり、国民にとつては、安保体制を打破し真に独立の気概をもった、民主的、科学的な日本国民を形成しようとする、努力の過程なのであり、まさに、両者の力の矛盾、相克として、様々の教育問題が現象していると考えられる。
まず、高等教育の分野についてみれば、今次集会での山田氏(和大)の報告にも明らかなように、まず、教員養成制度を突破口として、大学制度全般を強力な国家統制のもとにおくことを意図した改革が進行している。
昨年七月、教育職員養成審議会(会長高坂正顕)は、「教員養成のための教育課程の基準について」、を作成し、教員養成関係大学の教育内容にたいする国家統制をうちだしてきた。これは、五八年の中教審答申、六二年の教養審建議に示された教員養成制度改革山基本路=紬をより具体化したものであるが、小、中、高にたいする教育内容の国家基準化の鈷措置が、いまや大学にまでおしおよぼされようとしていることを物語るものであり、大学自冶にたいする重大な侵害挑戦といわなければならない。さきに文部省は、大学管理法を用意し、大学の人事権を制限し、国家統制のもとにおこうとしたが、全国的な反対斗争にであい、ついに法制化を一応断念せざるをえない破目においこまれたが、しかし権力は決してその意図をすてたわけでなく、今度は教育内容の統制という面から、大管法をなしくづしに実施しようとしているのである。
また、注意しなければならないことは、大管法の基本構想を示す、中教審の「大学制度の改善について」は、今日の日本の大学に、はっきりとした格づけを行ない、学問研究を主とする大学院大学(学科―講座制の大学)と高度の専門的職業人を養成する大学(学科目制の大学)を区別し、さらに大学のなかにも、学科―学科目制の大学(和大経済学部のようなところ)と課程―学科目制の大学(和大学芸学部など、教員養成関係大学)との差別を設けている。さらにその下に短大が格づけられる。このように、下の方へランクされた大学ほど、学問研究とは、程遠い専門学校化がおしすゝめられるという、いわば、大学制度の合理化がすゝめられているのだある。
このような動きに対して、和大学芸学部では、全国の大学に先がけて、事柄の本質を見抜き、全国の教育系大学教授会ヘアピールを送り、ことの重大さを訴え、その後も様々の払抗をこころみてきた。しかし、この問題は、必ずしも、全大学の問題とはならず、ましてや、小、中、高の組合員、さらには、全国民のものとはなっていない。
つぎに後期中等教育の分野をみてみると、今次分科会では、主として、元日登校をめぐる県教委側のうごきと、高校教員、高校生徒たちのたたかいが中心となつていたが、この問題も、今日における、後期中等教育再編成の意図ときり離して考えることはできない。
すべての国民が完全な後期中等教育をうける権利を有する、という考え方を基盤に、高校全入運動が和歌山県でも、ここ数年来展開されてきた。高校全入というのは、単に高校増設、学級増という量的拡張の要求につきるものではなく、今日の生産力の発展水準からみれは、すべての国民の子弟が、自然科学、社会科学、生産技術、芸術の基礎を学ぶ権利と可能性をもっているということであり、いわば、科学、技術、芸術の国民化、大衆化の要求だといわなければならない。ところが権力側は、この高校全入の思想をねじまげ、後期中等協憂い久の多様化という線をうちだしてきている。
これは、現在の産業構造の変化にともなう労働力需要にみあって、一部エリート養成のコースと多種多様な技能者養成のコースを後期中等教育段階にもちこもうとするものである。しかも、すべての国民に後期中等教育を保障するという美名のもとに、職業訓練所、経営伝習農場、勤労青年学校、通信教育、その他各種学校といわれるものを後期中等教育の一環にくみいれ、みせかけの「中等教育の完成」をはかろうとしている。このような後期中等教育再編成の路線は、大学制度改革とも、その本質を同じくするものであり、科学的知識や、理論をもたぬ手だけの技能者を多量につくり、しかも彼らに「期待させる人間像」に示される国家主義、軍国主義の思想を徹底的にたたきこもうとするものである。元日登校問題は、その一つのあらわれとみなければならない。
さらに、初等教育、前期中等教育という義務教育段階に目を転じよう。学力向上モデル地区に指定された吉備町における教師の苦悩は、今日における勤評・学テ体制にとるしめあげのきびしさと巧妙さを端的に象徴している。学力とは、学習指導要領の示す内容のことだ、などという非科学的な学力観をふりまわし、幼い頃から生徒たちを競争と差別のなかにまきこみ、無限の可能性をもつ人間の能力を、早くから運命的に格づてようとする教育それは、まじめな教育実践にたいする破壊行為以外のなにものでもない。学習指導要領の再改訂が日程にのぼってきているが、権力が一方的に学力とは何であるかを規定しうるという思想は、およそ、科学的研究とは無縁のものである。
このような体制を強化するため、龍神地区の報告にもみられるように、公教育の立場、公務員の自覚なるものが、教師に一方的に強要され、教師のもつ市民権、労働基本権のハクダツがすすめられている。
また、就学前教育についての、幼稚園教育要領が出され、国家や国旗にたいする愛着を、幼児期から養うということで、日の丸、君が代が教育内容にくみこまれてきえいるし、保育要領にもとづいて、最低の労働条件のもとに苦しんでいる保母にも、観念的な再教育をすすめようとしている。
特殊教育についてみると和歌山県立盲学校の報告に示されているように、特殊教育の体系からきりはなす、隔離教育の方向がとらわれといる。これにたいする、盲学校生徒を中心とする、激しい抵抗運動は、もっとも虚げられた人たちのなかにこそ、国民を統一していく基本的な要求のあることを物語るものとうえよう。
以上は主として、学校教育の分野についてみてきたのだが、学校教育以外の社会教育の分野に目をうつしてみても、注目すべき事態の変化が進行している。昨年八月一日、和歌山県青少年総合対策本部「本部長小野知事」が発足し、各地域に地方対策本部がつくられつつある。従来、青少年問題協議会と、それに密接に結びついた青少年補助センターが、警察と一体となって、地域の青少年のとりしまり的指導にあたっていたが、今度はより規模を大きくして、自治体、警察、教委、各種団体のボス、さらには、自衛隊までが一枚加わって、地域に網の目のような恒常的監視の組織をつくろうというのである。近衛新体制のもとでの市町村常会、部落会、隣保班、隣組による、国民相互監視の機構をおもいおこすとき、われわれは、この道は何時かきた道であり、それが国民をどのような不幸へ導いたかをじっくりと考えてみる必要がある。
子ども会活動も、青年婦人の活動も、青少年対策本部という窓口一本に統一されようとしているのであって、それだけに、地域における自主的な子ども会活動、青年婦人の組織化の重要性が増大しているといえる。さもないと、学校教育は、この分野からつきくずされるであろう。その点で、岸上における長期の地道な子ども会活動の実践報告は大きな意義をもつものである。
以上、概観してきたところからも明らかなように、今日国民教育(ここで国民教育というのは、国民のための教育といった価値観をまじえない、国民全体を対象とする教育という意味)のあらゆる分野にわたる再編成がすすんでいることは疑うことのできぬ事実であるが、ではこの再編成、ないし戦後教育改革の必要ならしめている動因は一体何なのだろうか。
ある種の人達は、今日の教育が新しい生産力の発展、科学技術の進歩から立ち遅れているからだと主張している。経済審議会の人的能力開発に関する答申も、主として、この経済的技術的要因を強調し、その政治的意図を極力陰蔽する経済主義、技術主義の立場に立っている。たしかに、今日の技術革新にともなう産業構造の変化が、新しい労働力需要、人間能力の新たな開発を必要としていることは否定すべくもない。しかし、それと同時に、現在資本主義の政治的危機の深化が、教育再編成の有力な動因になっていることを見失ってはならない。
ベトナム問題に象徴される、アメリカ帝国主義の深刻な苦悩とそれと目下の同盟関係にある日本独占資本の焦燥と動揺は、世界資本主義の全般的危機の深化の端的なあらわれである。この危機の打開のために、日本独占資本は、再びアジア諸国にたいする、帝国主義的、軍国主義的侵略の道を求めている。そのために、国内的には、国家独占資本主義体制を強化し、政治、経済、教育、ぶんか、あらゆる分野における国家統制を強めている。大学制度の改革、後期中等教育の再編成、すべてその例外ではない。しかもこのことを合理化するために、権力側は「福祉国家」の幻想をふりまき、今日の国家は、国民全体の福祉を増進し、保障する機関にかわったと宣伝している。右翼社会民主主義者や、改良主義者は、これとくちぐるまをあわしたように、国家のもつ公的機能を拡大していけば、社会主義にいたるという、楽天論をぶち、国家独占資本主義を美化し、これを援助する役割をはたしている。だが、国家独占基本主義は、国民の福祉を増進するどころか、日本国民をより収奪し、戦争への道へ追いやるものであることは、今日多くの事実が物語っている。
本年一月、中教審第一九特別委員会が発表した「期待される人間像」は、今日、国家独占主義が、日本国民に期待している人間像を示すものとして注目しなければならない。それは、憲法、教育基本法にかわる新しい教育憲章制定の意図をはらむものといえる。
一読して明らかなように、「期待される人間像」をつらぬく思想は、新しいナショナズムと近代主義であろう。もっとも「祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛するすることと一つである」などという前近代的天皇制イデオロギー復活の側面もみられるが、根幹をなすものは、親米愛国、反共反社会主義のナショナリズムと、基本的人権を無視した、言葉だけの「人間尊重」(人間蔑視)思想であることは間違いない。前者の新しいナショナリズムは、集団主義を破壊する個人主義と結びつき、また自由主義陣営の一員としての自覚という、国際主義(コスポリタニズム)とも巧妙に結びついている。後者の「人間尊重」思想は、能力主義の徹底という形で具体化されて、差別と競争を合理化する思想的武器となっている。
和歌山県教委の出した、「人間尊重教育(同和教育)の指導資料」は、ナショナリズムの問題に、直接ふれてはいないが、和歌山版「期待される人間像」の方針として、権力の教育攻撃の思想的より所となっている。そこでは、和教組、高教組の「人尊教育批判」が明らかにしているように、
①基本的人権の尊重と、その擁護のたたかいを観念的な人間尊重にすりかえ、
②運動と教育は別だということで、民主的な教育実践と、民主運動との有機的なつながりを機械的に切断し、
③民主運動の支えを失った教師には、公務員としての自覚、公教育の立場を強要して、市民権、労働基本権を骨抜きにし、このようにしばりあげられた教師に、
④学力とは、学習指導要領の示すところだ。と権力に都合のよい教育を強制し、さいごにうまくゆかないときは、
⑤教育の成否は、一にかかって教師にある、という責任転嫁の道を用意するという実に巧みな論理が展開されている。しかもこれは、単なる机上プランでなく、現に和歌山県下の各地で、地教委、校長、地域ボスの口をかりて、教師への思想攻撃となってあらわれていることは、すでにみたところである。われわれにとって、いまこそ、これに対決しうる思想的、理論的武器をかためることが、何にもまして、重要な課題となってきている。
(2)国民的教育運動の課題
和歌山県の教育界に加えられている、きびしい攻撃のなかで、各地域、各職場にさまざまな抵抗運動が組織され、そこには、国民教育運動、国民教育創造の萌芽が芽ばえている。第二章でやや詳しくのべた、御坊小学校を中心とする職場実践は、その一つの典型的事例といえよう。
国民教育運動特別分科会においても、御坊小の実践をめぐる討議にかなりの時間と比重がかけられた。では何故御坊小の実践に人々の関心があつまったのであろうか。
勤評・学テ闘争以降の和歌山県における国民教育運動の具体的な組織過程をみると、有田地域に典型的にあらわれていたように、まず地域に各種民主団体の強力な共闘組織をつくり、この共闘を基盤として、民主的な職場実践を保障していこうという方式が支配的であった。分科会で海草から出された、「さいきんでは、教育の問題や、生徒の問題をだしても、職場はまとまらない、むしろ教師の低賃金の問題、労働強化の問題といった経済闘争、権利闘争を根幹として職場を組織していかなければならない」、という発想もこれと同じ流れに属する。
たしかに、今日教育にかけられている攻撃が、単に教育にだけかけられている攻撃ではなく、平和運動、労働運動、婦人運動、農民運動等々にかけられてきている攻撃と本質は一つであり、根は同じであるとすれば、「教育で対決する」「子どもで勝負する」というだけでは、本当に子どもを守ることもできないし、その意味でも、地域に強力な民主勢力も結集をという主張には積極的な意義がある。
しかし、地域に強力な民主勢力の結集ができれば、おのずから学校教育が民主化され、国民教育のなかみが自然に創造されていくであろう、と考えるとしたら、それは間違っている。ましてや、地域に共闘組織がつくれるまで、しばらく教育問題、子どもの問題は棚上げしていくなどというのは決定的な誤りを含んでいる。学力向上モデル地区(吉備町)の報告をした一先生は、「自分はいままで教育の方はまあまあ間違うたこと教えなんだらええぐらいに考え、主として権利闘争、一般的な民主主義闘争の面に勢力をそそぎ、平和委員をつくったり、自衛隊差別反対闘争を組織したりしてきた。しかし、今度新しい職場にとばされてきてみると、勤務時間の問題などを出してもなかなか職場は動かない。おまけに『学力を向上さすのにどこが悪いんな』『研究するのに何が悪い』といわれると、それに抵抗するだけの理論がこちらにない。
いままで、未組織の労働者にはちと役にたつこともやってきたが、子どもにたいしては何をしてきたのかと反省せざるをえない。こういうこどもを、というスローガンはしゃべってきたが、現実に、子どもをかえてきてはいなかった。
もしモデル地区が成功したら、全県的にもひろげられていくことは必定で、吉備の問題は、明日の全県の職場の問題でもある」と語った。ここには、勤評・学テ体制のもと、ますます非人間的、反教育的な「教育」が横行するなかで、子どもの現実に立脚し、子どもの人間回復をめざす教育闘争が一日もゆるがせにできぬ課題になっていることが、いままでの運動の自己反省として語られている。
しかし、注意しなければならないことは、運動の転換ということで、いままでの共闘方式では駄目だ、今度は子どもの教育から、という、機械的、二者択一的な考え方に立つなら、運動は再び停滞に陥ることは火をみるより明らかだということである。
問題は、「子どもの教育か、権利闘争か」、「教育実践か、組合運動か」などという粗雑な二者択一論にあのではない。いうなれば両方が大切なので挙ある。では、どうすればこの両側面を実践的に統-することが可能なのたろうか。
この点で御坊小学校の長期にわたる職場実践がわれわれに示唆するところは大きい。御坊小の実践は一見教育実践第一主義のタイプにみえながら、実は従来のの民間教育運動活動動家のスタイルとは違つている。御坊小の実践が、ほんものの教育とは何かを執拗に追求しながらも教育実践第一主義に陥らなかったいらなかったのは、第二章でもふれたように、同じ教育問題をとりをげるにして・も、そのとりあげ方、とりあげる観点、思想がすぐれていたということに求めざるを得ない。つまり、教育という問題をとりあげる場合に、いきなり教材研究や指導技術の研究にはしるのでなぐ、
父母や生徒の教育要求は何かという国民の教育要求を基挺にすえ、しかも、この教育要求を、つねに国民の生活要求の一環としてとらえ、それを集団の要求として親歳していくという教育における大衆路線がつらぬかれているということである。ここでは、教育問題はそもそもの出発点において、運動論や組織論と不可分のものとしておさえられているのである。元来、国民なり人民の要求というものは、生括要求であろうと教育要求であろうとそれには物質的な基盤があり、実践を通じてのみ解決しうるという性質がある。如何に口角あわをとはして議論しても、それだけでは要求は全然解決されないのである。しかも、国民の要求というものは、国民一人一人の主観的な願いや望みにつきるものでなく、国民全体の利益を代表するものであり、したがつて個々人の願いを統一していくことのできる、歴史の進歩の方向をさししめすものである。だからそのような要求は、集団的実践を通じてのみ解決されるといわなければならない。
御坊小学校の活動家が、このような言葉で、自分たちの実践の基礎を明らかにしているわけではないが、その実践の過程、指紋拒否からはじまる日脳注射の問題、等々二〇数件の問題をみても、それはすべて、教師、生徒、父母たちの基本的人権にかかわるぎりぎりの要求の問題であることがわかる。しかもその際、つねに最低辺の要求、もつとらしいたげられた者の要求に目がむけられていることは、責善教育の思想が、太く一本つらぬかれていることを示すものであろう。
このように、生徒に学び、父母に学び、その要求を組織していくという観点にたてば、教育要求が先か、生活要求が先かという議論はあまり生産的でないことがわかる。ある職場で、ある地域で、国民教育連動を組厳していく最初の環となる要求が何であるかば、それぞれの職場、それぞれの地域で自主的に解明されるべき問題であつて、他の職場でのやり方を機械的に模倣しても成功するハズはない。要は、どの宴求から出発するにしても、教育要求を生癌要求へ、生活要求を教育要求へと、より広く、より高く発展させていく国民教育運動発展の見とガしと展望をもつているかどうかということである。
すでに明らかにしたように、今日教育に加えられている権力側の攻撃はきわめて総合的組織的なものである。したがつて、これに抵抗していく国民教育運動の側も、小、中、高、大の諸学校の連携をより強化するとともに、社会教育分野にもおよぶ幅広い国民教育連動の統一戦線が必要なのである。この国民教育連動における、統一戦線の結成という基本路線を、意識的に追求しない国民教育諸実践はひとたび権力の組歳的攻撃をうけれは、ひとたまりもなく押し流されてしまうであろう。こう考えるとき、今日、国民教育連動を組織る点で教師がなさねばならぬ基本的課題は、
① 地域に底深く、幅広く国民教育運動を組織していくこと。
② この力にさゝえられて、職場をたたかう組合分会とすると同時に国民のための教育を行う教育者集団を組織していくこと。
③ 組織された識場の力ゎなかで、教育過程(教科指導、教科外指導をふくめて)を真に民族的、民主的、科学的、集団主義的な国民教育に相応しい形に観織していくこと。
この二つに要約できるであろう。どこから組織するかの時間的順序は問題ではない。
では、細坊小の実践は、このような遠大な展望をもち、それを意識的に追求しているといえるたろうか。現在、御坊小の職場には、全国で一般的にみられるような形でのきびい権力側の攻撃がかかつていない。それはれわれにとつて不思議なくらいである。 しか、権力側が簡単に、ロコな攻馨をかけらないでいるということは、裾坊の職場実践がが地道で着実たということにのみよるといえたろうか。おそらく、に手をつければ地域の民主勢力のたたかいに火をつけることけなるという問題があるからではなかろうか。
御坊という地域は、戦後の日高小作争議にはじまつて、戦後の日高木労のたたかい、西川闘争、自労のたたかいと輝かしい民主連動の伝統をもつているし傲坊小につどう先生たちが、果してどれだけこの地域の伝統に学び、この地域の民主勢力とのていけいを目的意識的に追及しようとしているのか、この点に今後の御坊小の職場実践の発展をわかつカギがひそんでいるように思われる。
1964年
「国民教育運動特別分科会報告書」(完)